ナタナヱル無花果樹下に


 ナタナヱル無花果樹下に黙坐す、ナザレのイエス彼を見て、以て猶太人の中に尤も硬直にして欺騙なきものと思へり。後世の之を説くもの、ナタナヱルの黙思を論ぜずして、基督の威力のみを談ず。ナタナヱルを知るは基督なり、然れどもナタナヱルのナタナヱルたるは基督の関するところにあらず、彼が心の照々として天地に恥るところなきは、彼自らの力なり、彼を救ふと救はざるとは彼の関り知らざるところなれど、救はるべき者になると否とは、彼の自力なり、斯般の理極めて睹易きものなるを、今の世往々にして聊かの自力をも恃まずして他力を専らにするものあり、神に祈念するを以て惟一の施為となすや、恰も彼の念仏講の愚輩の為すところを学ばんとするものゝ如し。告ぐ、基督は救ふべきものを救ひ、救ふべからざるものを救はざる事を、千言万句の祈祷は一たび基督を仰ぎ見るの徳に若かず、仰ぎ見るは心を以て仰ぎ見るべし、祈祷の教会をかしましうするは、尤も好ましからぬことなれ、我は凡ての教会の黙了せん時に、大活気の炎上すべきを信ず。  慈恵の事、伝道の事、世間、其精神を誤解するもの多し、われは今くだ/\しく述ぶるを欲せず。 最後に 一個人の尤も安く尤も平らか なるところを尋ねて見む。 被リンク

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