しからば散所とは

しからば散所とは一定の居所なく、随所居止する浮浪生活のものを示した語であろう。「処」の熟字には、易に「上古穴居而野処、後世聖人易之以宮室」とか、 韓退之の原道に、「木処而顛、土処而病也。而後為之宮室、」とか、漢書に「巣居而知風、穴処而知雨、」など、その例がはなはだ多い。後世では単にこれをサ ンジョと呼んでいるけれども、古いところでは多く散所雑色、散所随身または散所法師などとあって、

しからば散所とは一定の居所なく、随所居止する浮浪生活のものを示した語であろう。「処」の熟字には、易に「上古穴居而野処、後世聖人易之以宮室」とか、 韓退之の原道に、「木処而顛、土処而病也。而後為之宮室、」とか、漢書に「巣居而知風、穴処而知雨、」など、その例がはなはだ多い。後世では単にこれをサ ンジョと呼んでいるけれども、古いところでは多く散所雑色、散所随身または散所法師などとあって、サンジョの語を形容詞に用いている。しからばその散所の 語は、彼らが散処の雑色であり、散処の随身であり、散処の法師であることを示したものだと解するも、あえて不都合はなかろう。本来「居」または「止」の意 味における「処」の字は、「所」とは違う文字であるけれども、古く処の字を「所」の意味に用いた例もはなはだ多いことであってみれば、散所すなわち散処と 解してしかるべしと思われるのである。『以文会筆記』の龍淵(近藤式部)の説に、 今俗にさんじよと称する小邑所々にあり。郷里これと婚姻を通ぜず。然れども、其元来是何物なるものなることを知らず。文字も山所又は産所などと一様なら ず。或は是陵戸の類にて、山陵の転ぜるなりと云へり、されど陵墓の無き地にも此邑あるあり。又陵墓のあるところに必此邑あるにもあらず。按ずるに、太平記 に散所法師といふこと見えたり。蓋これ今の屠者・癩人・唱門師・焼屍奴などの如き雑戸にして、其村里の良戸と戸を同じうすること能はず、住所別に散在する を以て、散所と云ふならん。西梅津村のさんじよなどは、又しよもじ共呼ぶを以て、之を見れば、是はもと唱門師なるべし。  とあるのは、その解説一部分不十分ながら大体において当たっている。医学部の予備校ブログ

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