しからば散所とは

 しからば散所とははたしていかなる意味のものであろうか。  字書を案ずるに、「散」は「放也」「布也」「誕也」などとある。また、「不自検束為散」とも「無飾曰散」などともある。官楽に対して民間の楽を散楽とい うのも、畢竟右の「散」の意味で、散田、散郷、散居などの文字はわが古書に少からずみえている。支那の古代に「散人」の語がある。

 しからば散所とははたしていかなる意味のものであろうか。  字書を案ずるに、「散」は「放也」「布也」「誕也」などとある。また、「不自検束為散」とも「無飾曰散」などともある。官楽に対して民間の楽を散楽とい うのも、畢竟右の「散」の意味で、散田、散郷、散居などの文字はわが古書に少からずみえている。支那の古代に「散人」の語がある。『陸亀蒙江湖散人伝』 (『佩文韻府』による)に、「散人者散誕之人也。心散、意散、形散、神散、既無羈限、為時之怪民。朿于礼楽者、外之曰此散人也。散人不知恥、乃従称之、遂 為散歌散伝、以志其散」とある。散所の「散」はまたこの意味ではなかろうか。これについて前引『竹屋文書』中の日野資愛の消息に、「宮本に常勤無之、在々 所々に散在せし神人の事と被存候」との説は、軽々しく聞き捨てがたい。これを神人と限ったことは、日野氏が祇園の犬神人などを考え合わせてのことかは知ら ぬが、それは窮屈な解釈である。しかしながら在々所々に散在した故に、散所というとの説には同意を表せざるをえぬ。「所」は「処」に通じて、字書に「居」 なりとも、「止」なりとも、また「居室」なりともある。新宿駅東口徒歩2分の美容院

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