それについて自分は

 それについて自分は、「穢多」という同情なき文字の使用に甚だ多くの不愉快を感ずる。「エタ」という名がいかなる由来を有するか、いかなる意義を有する かについては、別項「エタ名義考」中に於いて管見を述べておいた。よしやその意義がいかにもあれ、「穢多」という文字は「エタ」の語を表わすべく用いられ た仮字に相違ない。しかしそれが仮字であるにしても、

 それについて自分は、「穢多」という同情なき文字の使用に甚だ多くの不愉快を感ずる。「エタ」という名がいかなる由来を有するか、いかなる意義を有する かについては、別項「エタ名義考」中に於いて管見を述べておいた。よしやその意義がいかにもあれ、「穢多」という文字は「エタ」の語を表わすべく用いられ た仮字に相違ない。しかしそれが仮字であるにしても、かつて或る迷信の上から、彼らは穢れたものであると認められていた時代ならば、或いはこの字を用いて おっても、幾らかその意味があったかもしれぬが、今日肉を喰い皮を扱うことが、必ずしも穢れではない、神明これを忌み給うものでないという諒解が出来た時 代にまで、この不愉快の仮字を使用する必要はない。  実を言わば「穢多非人」の称は明治四年に廃せられたので、爾後「エタ」なるものは全く存在しない筈である、したがって自分は、もし出来るならば一切この 忌わしい言葉を口にしたくないのである。しかしながら、過去の歴史を説く場合には、どうしてもこれを避ける事が出来ない。自分もやむをえず、不愉快ながら 本編以下多くこれを使用しようと思うが、それにしても「穢多」という同情なき文字は、なるべく避けたい。自動車保険ランキング

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