いよいよ上陸


 しかし、いよいよ上陸といふ前の晩、喫煙室で、彼女の連れの一人が、私に碁の打ち方を教へろとだしぬけに云ひ出した。  私は、本式の碁はあなた方にむづかしいから、五目並べといふ別のゲームを教へようと答へ、二人で三十分ほど五目並べをやつた。すると、そこへほかの三人が集つて来た。一番年寄りの如何にも女学校の舎監然たる婆さんが、横から熱心にのぞき込んでゐた。  この婆さんは少しフランス語を話すらしいので、合ひ間あひ間に、事変問答をしてやらうかと思ひ立つたが、どうしても気がひけて切り出せない。 「あなたは天津へお帰りですか?」 「さうです」 「天津には長くお住ひですか、もう?」 「十五年」 「……」  支那は住み心地がいゝですか、と訊かうとして、つまらなくなつてよした。 「あなたおやりなさい」  私が席を起つと、その婆さんは、大急ぎで盤に向つた。  見覚えたにしてはこの婆さん、なかなか頭がよく、寧ろ意地の悪い手の連発で、易々と彼女の一番若い、そして、一番美しい同僚をひねつた。 「おゝ」  と叫んで、負けた方は、私の顔を見た。気の毒だが、どうしやうもない。      最初に会つた同期生  門司でも幾人かの将校が乗り込んだ。 「おい、岸田ぢやないか」  アレキサンダアに似た工兵中佐が私の肩を叩いた。 「忘れたか。Sだよ」 「あゝ、さうか」 「何処へ行くんだい」 「うむ、従軍記者だ。よろしく頼む」 「ほう……それはそれは……。貴様の書くものはうちの嬶が読んどるぞ」  もう一人の騎兵中佐が、その時、私の方へ歩み寄り、 「しばらく……。私、Yであります。幼年学校でお世話になりました」  さう云へば、私が三年の時、このYは一年生ででもあつたのだらう。 「今度は隊長ですか。今迄は?」 「騎兵学校にをりました。さつきから、どうもさうぢやないかと思つて……やつぱり変つてをられませんな」 解剖生理学スクール 解剖学・基礎医学の個別指導塾・家庭教師

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