警官がちかごろはあまり威張らなくなつたさうだが、官吏一般とすると、下級官吏ほどえてして横柄なのは、あれは、自分で自分なりに「平衡」を保たうとす る努力のあらはれである。但しその「平衡」なるものが、気安めといふ程度の「平衡」であつて、その限りに於ては、万人すべて意識的、無意識的にそれを心掛 けてゐないわけではない。
警官がちかごろはあまり威張らなくなつたさうだが、官吏一般とすると、下級官吏ほどえてして横柄なのは、あれは、自分で自分なりに「平衡」を保たうとす る努力のあらはれである。但しその「平衡」なるものが、気安めといふ程度の「平衡」であつて、その限りに於ては、万人すべて意識的、無意識的にそれを心掛 けてゐないわけではない。前に述べた一種の自己偽瞞である。つまり普通にしてゐると軽くみられ、軽くみられたらもうおしまひだといふ恐怖感が自己補強の工 作をなさしめるのである。 この自己偽瞞は、もちろん常に、もう一歩高いところからみれば、平衡を失した形としてあらはれる。威張れば威張るほど軽くみえるといふ現象がそれを明ら かにしてゐる。 下級官吏だけでない。日本人には、多くこの感覚が欠如し、或はひどく磨滅してゐるのである。 逆な例をとれば、「平民的な殿様」といふやつがそれである。貴族的であることの不利な印象をごまかすために、努めて、或は好んで庶民的な態度を装ひ、自 分にそれを強ひてゐるひとつのヂェスチュアであるが、この場合、「平民的」とは、「庶民の庶民的である」のとはまつたく趣きが違ひ、「殿様らしい」或は、 「殿様ぶつた」庶民気取りであること、ほとんど異例はないと云つていゝ。かゝる場合、「平民的」であることが却つて、「貴族的優越感」の暴露となり、ひと つの平衡を失した人間像がそこに形づくられる。2/24リニューアル赤羽の美容室
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