第四に、いはゆる「高い教養」が女性に何をつけ加へるかといふ問題である。正しい意味の深い教養は、たしかに、心を豊かにし、表情に磨きをかけ、趣味をよくし、智的な作業にも適する女性を作る。しかし、若し、高い教養なるものが、
第四に、いはゆる「高い教養」が女性に何をつけ加へるかといふ問題である。正しい意味の深い教養は、たしかに、心を豊かにし、表情に磨きをかけ、趣味をよくし、智的な作業にも適する女性を作る。しかし、若し、高い教養なるものが、今日までのやうに、学校教育乃至は読書にのみよつて獲られたものを指すのであつたら、それは一般にも云はれるやうに、女性をして、女性の魅力の大部分を失はしめる結果に陥り易い。なぜなら、それは偏食に類するものであり、精神的にビタミンXの欠乏を来し、男子と肩を並べるつもりで、いつの間にか同性の群から落伍してゐるからである。
男は「男」を磨くことによつて、人間的な高さを矜り得るのである。女も亦「女」を磨くことによつてのみ、人間の位があがるのだといふことに気づかねばならぬ。
「女」を磨くとは、女の理想的「表現」をもつて、即ち最も洗煉された「女らしさ」によつて人に親愛畏敬の念を起させることである。
「高い教養」がかういふことに役立つなら、それは大いに身につけるがよろしい。しかも、それは、西欧的教養とは別個な伝統の上に築かれた、日本的「たしなみ」の会得と修練なしには、絶対に日本の女のもつ「高い教養」とは云ひ得ぬであらう。
第五に「たしなみ」を行儀作法とのみ考へるのは大きな間違ひだといふことは云ふまでもないが、特に、女のたしなみとして、私は強靭な肉体の自由な操作と、敢為な気性のしなやかな表現とを新しい時代に求めたいと思ふ。つまり、女性的魅力に凜冽たる一面を必ず附け加へたいのである。 http://xn--y8js7au1p.net/
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