夫は、いつもすぐに二階へあがつて


 夫は、いつもすぐに二階へあがつて着替へをするのに、今日に限つて、さうしようとはしなかつた。

「あら、どこへいらつしやるの?」

「寒いからちよつと火にあたりたいんだ。ストーヴをつけてくれ」

 治療室へつかつかとはいると、天井ぐるみ部屋の中をひとわたり見廻すやうな、例の盲人独特のしぐさをして、

「火がついてゐるのか、こいつは有りがたいや。今日はしかし、誰も来る日ぢやないだらう?」

「えゝ、さつき、あたしが、ちよつと……」

「あゝ、さうか。しかし、変だな。アルコールを使つたかい、この部屋で?」

「あゝ、さつき、葡萄酒の瓶をふいた雑巾でこのテーブルを拭いたんです」

「美津子、ダメだよ、嘘をついちや……この家のなかに、もう一人人間がゐるよ」

「まあ、変なことおつしやつちや、いやだわ。誰がゐるんですの、いつたい?」

「それをはつきり知りたいんだ、僕は……。教へたつていゝだらう?」

「誰もゐないのに、お教へするわけにいかないわ。あなたは、今日は、どうかしてらつしやるわ」

「君もどうかしてる」

 さう言ひながら、夫の歳男は、テーブルの周囲をひとまはりしたと思ふと、いきなり、片手を伸ばして、そのテーブルの上を探りはじめた。そこには、さつき、藤岡が革具ぐるみ投げ出した拳銃がおいてある。

 美津子の顔色は、さつと変つた。そして、思はず、アツと声を立てようとした。

 が、もう、夫の手は、その拳銃のサックに触れて動かなくなつてゐた。


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