青年はシガレット・ケースを


 青年はシガレット・ケースを開けると、夫人に勧めた。

「何?」

「キャメル……」

「ごめんなさい。私、これしか吸えないの。」と、いって夫人は、自分の赤革のケースから、スリー・キャッスルの細巻を出して、青年がライターをつけてくれるのを待った。

「私、三、四日のうちに、伊香保へ行ってみたいんだけれど、貴君も行ってみない。」

「さあ! 貴女と二人で……ですか。」

「逸郎さん。貴君、前川を恐がっているようね。」

 露わに、艶めかしい夫人の言葉に、青年は善良そうに、顔を染めて、苦笑しながら、首を振った。

「なら、私が恐いの?」

 姉か何かのような上手の位置から、青年が顔を染めるのを、楽しい観物ででもあるかのように、見おろしながら、しかも同時に媚を呈しながら、夫人が云った。

 青年は、ほのかに首を振って、

「どちらも、恐いわけではありませんが……」

「ねえ。一しょに行ってみない。佐竹の伯母さんとこへ訊ねて行くといえばいいでしょう。私、ここもいいけれど、観るものも聞くものもないから退屈するのよ。前川と話しすることなんか何にもないし……」

 夫人は、いつも高慢な態度を持しているが、しかしこういう若い男性に微笑を見せるということだけは、また別なことであるらしかった。

 夫人としては、自分の媚態が、男性にどんな影響を及ぼしそのために男性の眼に、どんな熱情が浮び、どんな不安が浮び、どんな哀願が浮ぶかを見ることが、楽しい刺戟であるらしかった。

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