船は、流人たちの期待に背かず、清盛からの赦免の使者、丹左衛門尉基康を乗せていた。が、基康の持っていた清盛の教書は、成経と康頼とを天国へ持ち上げるとともに、俊寛を地獄の底へ押し落した。俊寛は、狂気のように、その教書を基康の手から奪い取って、血走る目を注いだけれども、そこには俊寛とも僧都とも書いてはなかった。俊寛は、激昂のあまり、最初は使者を罵った。俊寛の名が漏れたのは、使者の怠慢であるといいつのった。が、基康が、その鋒鋩を避けて相手にしないので、今度は自分を捨てて行こうとする成経と康頼に食ってかかった。そして、成経と康頼とを卑怯者であり、裏切者であると罵倒した。成経が、それに堪えかねて、二言三言言葉を返すと、俊寛はすぐかっとなって、成経に掴みかかろうとして、基康の手の者に、取りひしがれた。 それから後、幾時間かの間の俊寛の憤りと悲しみと、恥とは喩えるものもなかった。彼は、目の前で、成経と康頼とがその垢じみた衣類を脱ぎ捨てて、都にいる縁者から贈られた真新しい衣類に着替えるのを見た。嬉し涙をこぼしながら、親しい者からの消息を読んでいるのを見た。が、重科を赦免せられない俊寛には、一通の玉章をさえ受くることが許されていなかった。俊寛は、砂を噛み、土を掻きむしりながら、泣いた。 船は、飲料水と野菜とを積み込み、成経と康頼とを収めると、手を合わして乗船を哀願する俊寛を浜辺に押し倒したまま、岸を離れた。葛飾区 金町 個別指導塾
2013.12.30 02:06
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